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私の研究テーマとバックグラウンドは,非平衡統計力学と,(量子および古典の)測定・制御・情報理論です.

熱ゆらぎや量子ゆらぎが重要な役割を果たすシステムにおける確率動力学的なダイナミクス,およびその制御と情報処理について,主に理論的な研究をしています.実験の共同研究を行うこともあります.

量子・古典を問わず,複雑かつソフトなシステムが織りなす現象と法則に関心をもっています.



1.情報熱力学

最新の解説はこちら (PDF, 510KB. 第59回物性若手夏の学校の集中ゼミのテキスト)

熱力学第二法則は,フィードバック制御や情報処理を行うプロセスには,そのままでは適用できないことが知られています.このことは,すでに19世紀に「Maxwellのデーモンのパラドックス」として指摘され,熱力学・統計力学の基礎にかかわる問題として,多くの物理学者によって議論されてきました.たとえば,1929年にSzilardが提案した「Szilardエンジン」によると,一分子熱機関に対して測定を行って1ビットの情報を得て,それを用いたフィードバックを行うと,通常の熱力学の限界よりも多くの熱力学的仕事(あるいは自由エネルギー)が取り出せます(解説記事).現代的観点からは「Maxwellのデーモン」はフィードバック制御によって,第二法則と矛盾はせずに,情報(相互情報量)を仕事・自由エネルギーに変換するデバイスであると理解され,量子情報理論との関係も見出されたことで,現在でも活発な研究対象となっています.

   Szilardエンジンのイメージ図.

さらに近年のナノ・マイクロスケールの制御技術の発展により,このような情報と熱力学の関係は,基礎物理のみならず,量子情報処理デバイスや,生体システムにおける情報処理とも関係があることが明らかになってきました.ナノからマイクロスケールの微小系において有限温度で情報処理や制御を行うときは,熱ゆらぎが無視できない効果をもち,それが情報と熱力学の関係の起源になっています.たとえば,古典系の場合は室温の生体高分子やコロイド粒子などが,量子系の場合は超伝導キュービット,量子ドット,光格子上の冷却原子集団などが関連するシステムです.

しかし,熱力学と情報処理・制御の関係について,一般的な状況に適用できる体系的な理論はありませんでした.我々は,情報処理の熱力学の一般理論を明らかにするために,量子測定・制御・情報理論と非平衡統計力学の両方の手法を用いて研究してきました.その結果,以下のような成果を得ました.


(1)情報処理プロセスへの熱力学第二法則の拡張

我々は,フィードバック制御や情報処理のプロセスに適用できる形に,熱力学第二法則を拡張し,それに統計力学的な基礎付けを与えることに成功しました.その結果,様々な情報処理プロセスに必要なエネルギーコスト(仕事)の,原理的限界が明らかになりました.たとえば,フィードバック制御を行う「Maxwellのデーモン」が,(一見すると)第二法則を超えてどれだけ仕事を取り出せるのかの限界が,デーモンが得た相互情報量で決まることを明らかにしました.

これらの拡張された第二法則においては,仕事 W や自由エネルギー F などの熱力学変数が,相互情報量 I やShannon情報量 H などの情報量と,対等に扱われる形になっています.したがって,この拡張第二法則は「情報熱力学の第二法則」と呼びうるものになっています.また,この結果は,量子と古典の両方の領域に適用できる一般的なものです(量子効果は,自由エネルギーや相互情報量の具体的な表式の中に現れます).

   情報処理の熱力学第二法則のまとめ.

19世紀以来,「なぜデーモンが第二法則と矛盾しないのか」という問題が,様々な物理学者によって論じられてきました.そして1980年代からは,その解決として,「Landauer原理」が広く受け入れられてきました.しかし,我々の研究の結果として,Landauer原理が特殊な場合にだけ成り立つことが明らかになりました.そのかわりに我々は,なぜデーモンが第二法則と矛盾しないかについての(Landauer原理とは異なった)一般的な説明を与えました.このことを議論した論文はPhysical Review Lettersから出版され,Editor's Suggestionに選ばれるとともに,Physics誌にハイライトされました.

Takahiro Sagawa and Masahito Ueda, Physical Review Letters 100, 080403(1)-080403(4) (2008).
Takahiro Sagawa and Masahito Ueda, Physical Review Letters 102, 250602(1)-250602(4) (2009); Physical Review Letters 104, 198904 (2010); Physical Review Letters 106, 189901(E) (2011).


(2)Jarzynski等式の拡張

近年の非平衡統計力学の理論的進展により,ゆらぎの大きな微小系において,非線形・非平衡領域でも普遍的に成立する等式の存在が明らかになりました.その一つが1997年に発見された「Jarzynski等式」です.Jarzynski等式は,その1次キュムラントの性質として(微小系における)熱力学第二法則を,2次キュムラントの性質として(第一種)揺動散逸定理を含んでいるという,顕著な性質をもっています.

しかしJarzynski等式は,フィードバックがある状況下(=「デーモン」がいる状況下)では成立しません.そこで我々は,古典非平衡ダイナミクスにおいて,測定で得た相互情報量やフィードバックの効率を含むような形に,Jarzynski等式を一般化しました.

Takahiro Sagawa and Masahito Ueda, Phys. Rev. Lett. 104, 090602(1)-090602(4) (2010).
Takahiro Sagawa, Journal of Physics: Conference Series 297, 012015(1)-012015(7) (2011).


(3)実験によるSzilardエンジンの実現

MaxwellのデーモンやSzilardエンジンは,従来は理論的に考えられていただけでした.しかし,中央大学・宗行研究室と東京大学・佐野研究室との共同研究により,サブミクロンスケールのコロイド粒子に対するフィードバック制御を行うことで,第二法則が課す限界よりも多くの自由エネルギーを系に獲得させる実験に,世界で初めて成功しました.これは,微小非平衡系において情報を利用したフィードバックを用いることで,第二法則の制約を超えてエネルギー収支を自在に制御でき,相互情報量を自由エネルギーに変換できることを示した原理実証であると言えます.

この実験が成功した要因は,中心的に実験を行った中央大学の鳥谷部祥一氏が考案したシステムにより,従来のレーザーピンセットを用いた実験では実現困難だった精度の計測・制御が可能になったことがあります.我々の実験では「相互情報量→自由エネルギー」の変換効率は約30%ですが(オリジナルのSzilardエンジンは100%),この効率をさらに高めていくことは今後の課題です.

また,この実験により,フィードバックがある状況下では通常のJarzynski等式は成り立たず,そのかわりに上記の一般化Jarzynski等式が成立することが検証されました.

この論文はNature Physics誌から出版され,そのNEWS and VIEWSにハイライトされるとともに,Nature誌のNewsでもハイライトされました.また,国内外の多数の一般報道で取り上げられました.

Shoichi Toyabe, Takahiro Sagawa, Masahito Ueda, Eiro Muneyuki, and Masaki Sano, Nature Physics 6, 988 (2010).


(4)量子Szilardエンジン

これまで,粒子が量子的にふるまう場合について,Szilardエンジンからどのくらい仕事が取り出せるかについては,あまり研究されてきませんでした.我々は,複数の同種粒子からなる量子Szilardエンジンについて,そこから取り出せる仕事を計算する一般的な公式を導きました.この論文はPhysical Review Lettersから出版され,Editor's Suggestionに選ばれるとともに,Physics誌にハイライトされました.

Sang Wook Kim, Takahiro Sagawa, Simone De Liberato, and Masahito Ueda, Physical Review Letters 106, 070401 (2011).




2.非平衡定常系の熱力学

外部パラメータによって駆動される熱力学系において,平衡状態間の遷移に関する熱力学第二法則は,エントロピー生成が非負であると述べることができます.しかし,非平衡定常状態間の遷移に関する制約は,エントロピー生成が非負であることだけでは十分に特徴づけることができません.そこで,非平衡定常状態間の遷移におけるエントロピー生成から,定常状態を維持するために必要なエントロピー生成を差し引いた過剰エントロピー生成が,非平衡定常系の熱力学を考えるうえで重要な役割を果たすという議論がこれまでになされてきました.

我々は,有限個の状態をジャンプするマルコフ過程について,準静的過程における過剰エントロピー生成のキュムラント生成関数を,フルオーダーで計算するための一般的な関係式を導きました.ここで,キュムラント生成関数と量子力学におけるBerry位相との間には数学的な対応があり,キュムラント生成関数はパラメータ空間上の経路だけに依存する幾何学的な量になっています.この結果に基づき我々は,非平衡定常状態間の遷移において,過剰エントロピー生成を特徴づけるようなスカラー値の熱力学ポテンシャルが一般には存在しないことを示しました.

我々の結果は,非平衡定常状態間の遷移を記述するにはベクトルポテンシャルが必要である可能性を示唆しており,非平衡定常系の性質を解明する上での新たな方向性を示していると考えられます.

Takahiro Sagawa and Hisao Hayakawa, Physical Review E 84, 051110(1)-051110(6) (2011).




3.量子推定と不確定性関係

量子測定で得られる測定値のゆらぎには,量子系そのものがもつ量子ゆらぎと,測定に伴うエラーの,二重構造があります.前者は状態と物理量だけから計算されるものですが,後者は量子測定のプロセスを考慮して初めて明らかになります.我々は,量子測定理論と,Fisher情報量など推定理論の概念・手法を用いて,この二種類のゆらぎの構造について研究してきました.

   量子ゆらぎと量子測定に伴うエラー.


(1)キュービット系の同時測定に対する不確定性関係

非可換な物理量の間には,量子ゆらぎによって不可避の不確定性関係があります.一方,非可換な物理量を同時に測定すると,測定に伴うエラーの間にも不可避の不確定性関係が生じることが,理論的にも実験的にも知られてきました.つまり,不確定性関係にも,二重構造があることになります.たとえば,位置と運動量を同時に測定すると,量子ゆらぎと測定のエラーが同じだけの寄与をして,不確定性関係の下限が通常の二倍になることが知られています.しかしこのような測定に伴う不確定性関係については,どのような不等式が一般に成立するかといった基本的な問題も含めて,まだ十分に理解されていないのが現状です.

我々は,まず1キュービット(スピン1/2)の系について,Fisher情報量を応用することで,測定に伴う不確定性関係を表す最適な(等号を達成できる)不等式を導きました.次に一般の有限次元系において,一般的に成立する不等式を証明し,さらに等号を達成できる不等式をconjectureとして提案しました.

Yuji Kurotani, Takahiro Sagawa, and Masahito Ueda, Physical Review A 76, 022325(1)-022325(5) (2007).
Takahiro Sagawa and Masahito Ueda, Physical Review A 77, 012313(1)-012313(14) (2008).
Yu Watanabe, Takahiro Sagawa, and Masahito Ueda, Physical Review A 84, 042121(1)-042121(7) (2011).


(2)ノイズのある状況下での最適な量子測定

環境からのノイズがある状況では,量子系に対して理想的な(エラーのない)射影測定を行うことができません.そのため,ノイズのある状況においてどうやったらできるだけエラーの少ない測定ができるか,ということが,量子情報処理を行う上で問題になります.我々は,一般の有限次元量子系において,Fisher情報量を尺度として最適な(最もエラーの少ない)測定を明らかにし,そのときに得られる情報量を決定することに成功しました.

Yu Watanabe, Takahiro Sagawa, and Masahito Ueda, Physical Review Letters 104, 020401(1)-020401(4) (2010).